第七師團に大湊要港部司令が来た話

第七師團に大湊要港部司令が来た話

 

    「師團歴史」をつらつらと読んでみると結構要人が来團しています。大抵は検閲で将官クラス(秋山好古とかは何回も)ですが、鉄道網が発達してきた明治末以降は、海軍軍人が来旭しているケースもあります。

    上原師團長時代の明治42年5月31日に、大湊要港部司令官!が第七師團司令部に来ていた話が載っていたので調べてみました。

 

師團歴史

 

 

 「師團歴史」  明治42年5月31日の記事

『大港(大湊)要港部司令官海軍少将玉利親賢(たまり ちかたか)来団』といういきなり誤字っている記録がありました。上原師團長は25日から余市•岩内•室蘭方面に出張していましたが、30日には帰團していますので要港部司令官と会ったのは間違いないかと思います。そこで何か記録が残っていないか調べてみる事にしました。

 

大湊要港部司令官

少将  餅原  平二    明治38年12月12日〜 明治40年3月12日鹿児島男爵

少将  大久保 保喜造 明治40年3月12日 〜 明治41年5月15日 佐賀

少将  武富  邦鼎    明治41年5月15日   〜 明治41年8月28日 佐賀

少将  玉利  親賢    明治41年8月28日   〜  明治42年12月1日 鹿児島

 

   ここで登場する玉利少将は、ロンドン駐在時に軍艦春日、日進の購入契約をした人物です。イタリアで建造されていた軍艦をロシアが狙っているという情報があったため、英国と共謀して日本が先に購入し、ロシアの計画を阻止しました。回航委員は当時中佐の鈴木貫太郎で、彼の日誌が残っています(鈴木は終戦時の内閣総理大臣

 

戦時日誌 軍艦春日 C09050376100

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C09/C09050376100.c0754804011.11nitiro_037.0004_01.pdf

 

第七師團師團長

少将  永山  武四郎 明治29年5月12日  〜  明治33年4月25日 鹿児島男爵

中将  大迫  尚敏    明治33年4月25日  〜  明治39年7月6日     鹿児島子爵

中将  上田  有沢    明治39年7月6日     〜  明治41年12月21日徳島 男爵

中将  上原  勇作    明治41年12月21日〜 明治44年9月6日     宮崎 子爵

 

   当時の師團長は上原中将。工兵出身で師團長を務め、その後は陸軍大臣教育総監参謀総長を経て元帥まで到達し、長閥衰退後は絶大な権力を有しました。

平二と勇作は金カムの名前の元ネタですよね。

 

   とりあえず人名で検索してみましたが、案の定出てこない…

次は出張願いとかありそうなので探してみたら束の中から出てきました。

 

出張2

 

出張及視察(4) C06092213100 40ページ目

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C06/C06092152800.c0450309110.koubun_1429.1264_01.pdf

 

大要第240號  明治42年5月8日

大湊要港部司令官 玉利親賢 たまり ちかたか

海軍大臣男爵斎藤實殿

 

北海道及び樺太へ出張致したくの件

 

本月下旬頃より約三週間の予定を以って室蘭、根室、小樽、九春古丹(大泊)及び所属各望楼など警備区域内巡視のため出張致したく候條御認許相成りたし

右上申す

追って旅費は配付予算内にて支払い可致候に付き此の段副申候なり

(終)

 

*さいとうまこと 明治39年 海軍大臣 大正3年シーメンス事件で大臣辞任 予備役編入

   昭和11年2月26日 二•二六事件で襲撃され逝去 従一位

*久春(九春)古丹  クシュンコタン  樺太大泊町の古名

*そうろうじょうご(おん)にんきょあいなりたし

   〜したいので、御認許をお願いします  候の略字か異字ならば意味が通る

*可致候ニ付  いたすべくそろにつき

   支払う様に致しますので、この件について副申致します

 

海軍要港部と駆逐隊  要港部と駆逐艦についてのちょっとした説明

https://storage2018.hateblo.jp/entry/2019/01/03/024531

 

戦後大湊には第三、第四駆逐隊が配備されていましたので、出張にはどちらかの駆逐隊を同行させたに違いありません。

 

第三駆逐隊

春雨(42年出) 皐月  山彦(39年出42年入) 文月(41年入)

第四駆逐隊

雷(いかづち大正2年除籍) 電(いなづま42年沈没)  曙(あけぼの) 朧(おぼろ)

漣(さざなみ44年入)  戦時中は第二駆逐隊

因みに戦時中の第四駆逐隊は、朝霧 村雨 朝潮 白雲で、司令は回航から帰ってきた鈴木貫太郎中佐。(戦後第十三駆逐隊)

 

   第三駆逐隊が三隻でしかも面子が変更になっているので、戦時中も同じメンバーだった第四駆逐隊が練度が高そうです(でもすぐ電は沈没しちゃうんですけどね)

   後は駆逐隊のスケジュールですが、通常日誌は定期的(保管期間は艦艇種別による)に鎮守府なり要港部に提出して保管してあったものなので、特に破棄していなければ何かの形で残っているはずです。

   更に調べると駆逐隊の予定表と全艦艇の艦船行動簿という資料がありました。

 

発着2

予定2

 

諸艦船行動回航等に関し届書類(3) C06092180300 42ページより

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C06/C06092180300.c0450309112.koubun_1438.0834_01.pdf

 

第四駆逐隊司令 松岡修藏

發着報告の件

本隊来たる28日より別紙予定日割を以って北州及び樺太沿岸巡航致すべく候に付

右報告す

 

   名前の最後の字は違うけど読みは同じです(笑)

松岡司令は当時昇進間近の中佐で、この年の10月に大佐に昇進して転出しています。

この二通の書類は両方とも海軍大臣あてですが、印を見ると処理をしたセクションが違うようですね。

   出張願いは海軍省人事局、発着報告については海軍省軍務局と軍令部にも回覧されていて、個人の印鑑の数も多いです。

   各省の役割は大雑把にいうと、陸軍省海軍省は軍政、参謀本部•軍令部は作戦、軍の編制、諜報となっています(人事については、参謀本部付将校のみ参謀本部が行い他は陸軍省の管轄、海軍は全て海軍省の管轄)

   このケースの場合は、実際に艦艇を運用して樺太沿岸の諜報を行なっているので、海軍省から軍令部に書類が回ったのでしょうね。

 

 

艦船行動簿明治42年5月分(2) C10100058100  2ページ目より

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C10/C10100058100.c0855599001.11kansen_005.0791_01.pdf

 

艦船行動簿明治42年6月分(1) C10100058200

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C10/C10100058200.c0855599001.11kansen_005.0801_01.pdf

 

*大湊  むつの隣

上ノ国  北海道江差の近く

寿都  岩内と島牧村の間

*鷲泊  利尻島

*大泊  樺太コルサコフ

 

   31日に司令官が来団との事でから、30から1日まで小樽で碇泊していたので間違いないですね。

当時の鉄道は函館から小樽を経由して札幌•旭川に向かっていて、函館から旭川まで既に直通列車があったらしいので、札幌乗り換えは特に必要なかったかと思われます。ちなみに室蘭方面行き乗り換えは岩見沢でした。

   そして当時の小樽•旭川間の乗車時間は約6時間30分…おぉぅ腰が…

 

中央小樽 午前4時18分発   旭川       午前10時47分着

旭川       午後5時25分発   小樽中央 午後11時11分着

 

   これならば現地で一泊しなくても、何とか艦艇に帰ることができますね。

よかったけどハードスケジュールだな。 

 

北海道旅行案内 明治43年

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763156/12

 

   大泊で二泊している間に諜報活動をしていたかと思うのですが、残念ながら海軍の報告書等の資料がありませんでした。

 「師團歴史」では直後の9日に内務事務次官樺太に来着、その際に付近住民が漁業問題について陳情、更に暴動になったため、樺太庁長官より大泊分遣隊に出兵請求があったとの記録がありました(同日正午鎮圧)

   関連については不明ですが、海軍がわざわざ師團司令部に来たのは、内務事務次官樺太訪問について連絡を取り合った可能性もあるのではと思いました。

 

 

国立国会図書館デジタルコレクション

http://dl.ndl.go.jp/

国立公文書館 アジア歴史資料センター

https://www.jacar.go.jp/

新旭川市史  第八巻  史料三 』「師團歴史」 旭川市史編集会議 北鎮記念館蔵

『日本陸海軍総合事典』  秦 郁彦  東京大学出版会

日本海軍編制事典』  坂本 正器  福川 秀樹  芙蓉書房

日本海軍士官総覧  海軍義済会員名簿』 昭和17年7月1日調  柏書房 1に原書あり

日本海軍史 第9巻』「将官履歴 兵科大将〜少将」  海軍歴史保存会  第一法規版株式会社

『歴代海軍大将全覧』  半藤 一利 横山 恵一 秦 郁彦 戸高 一成  中央公論新社

『歴代陸軍大将全覧  大正篇』  半藤 一利 横山 恵一 秦 郁彦 戸高 一成  中央公論新社

金カム 13巻 130話

金カム 13巻 130話

 

   以前から鯉登の父親が大湊要港部というニッチな役職(要港部がすぐ分かる人は少ないのでは)であるの事に疑問を抱いていたのですが、その父上が13巻に於いて駆逐艦で川を遡ってきて、そのファンシーな行動力に驚愕すると同時に疑問が氷解したのでした。

つまり大湊要港部の縄張りは東北、北海道、樺太であったなと。

 

   日本海軍では河川専用に喫水の浅い砲艦というカテゴリーの艦があり、川なら砲艦かもっと小型の水雷艇だろうと思ったのですが、オホーツクの荒波に砲艦が耐えられるか(砲艦は外洋航海が出来ないので使用する現地で組み立てたりする)などと考えると、駆逐艦でまぁいいかと納得することにしました。

大湊要港部の担当からいうと、北海道沿岸に現れても不思議では無い…けど、司令まで現れるのはやはり想定外かと。モス父さんマジファンシー。

 

   作中の雷型駆逐艦は第四駆逐隊として、電、曙、朧と共に戦後の明治末は大湊に配備されていました。

当時雷艇隊は配備されていないので、明治40年代に大湊から持ち出す艦艇は雷型駆逐艦しか無いかと。絵も駆逐艦でしたし(ただ艦の大きさに対して、人間が若干大きいかもしれません)

 

   ただ駆逐艦4隻ということは駆逐隊を持ち出したということで、駆逐隊には駆逐隊司令も座乗しているはずです。

なので雷には雷クルーの他に、駆逐隊クルー、何故か要港部司令官と随員(いるはず)も座乗、更に怪しい陸軍兵ご一行様と、まさに闇鍋カオス状態。また更に刑務所攻撃なんかして、帰りは網走湖でちゃんとUターン出来るか心配していたら、私が雷駆逐艦長だったら速攻で禿げてます。軍帽取ることできなーい。

 

☆海軍要港部と駆逐隊  要港部と駆逐艦について少し詳しい話

https://storage2018.hateblo.jp/entry/2019/01/03/024531

☆大湊要港部司令が第七師團司令部に来た話  日露後に司令が旭川に本当に来ていたという話

海軍要港部と駆逐隊

海軍要港部

明治22年の鎮守府條例にて「海軍に於いて守備する地」を要港と定め、明治29年の海軍要港部條例で各要港に海軍要港部を設置した。大湊要港部は、明治38年12月12日に設置された。

 

明治41年6月2日施行の要港部條例では、

 

第1條 各要港に要港部を置き、所在の地名を冠称する

第2條 要港部の防御及び其の付近の海岸海面の警備を掌り

兼て軍需品の配給を為す所とする

第3條 必要に應じ駆逐隊艇隊敷設隊を置き、

潜水艇隊を附属する

等の他に、司令官及び幕僚を置く事が定められていた。

 

要港部本部幕僚

 

司令官  海軍中将か少将(大湊) 一名

天皇に直隷し海軍大臣の命を承け軍政を掌る

軍紀風紀、教育訓練の統監

艦政、兵事は所在海軍区を管する鎮守府司令長官の管轄

要港部の兵員の配置、物品の供給は所在海軍区の鎮守府の所轄(大湊は横須賀鎮守府)

司令官は要港内に在る他管の艦船を指揮することが可能

但し、司令長官、司令官がいる艦船はその限りでは無い

地方の安寧を維持するため兵力を使用することが可能

地方長官の要請無く兵力を行使した場合、処分後海軍大臣に報告する

司令官の欠員事故の場合、次席将校が業務を代行する

 

参謀長  明治33年より 大佐か中佐 一名

司令官の補佐 幕僚事務の掌握

参謀   明治33年より 少佐(兼務可) 一名

参謀長の指示を受け事務に服する

副官   少佐 一名 大尉 一名

参謀長の命を承け、人事、庶務を掌る

機関長  機関中少監(中佐・少佐) 一名

司令官の命を承け、機関船体、兵器に関する事項

機関官の勤務に関する事項を掌る

軍医長  軍医中少監(中佐・少佐) 一名

司令官の命を承け、軍務衛生に関する事項の掌握

主計長  主計中少監(中佐・少佐) 一名

司令官の命を承け、会計給与、軍需品の配給、工業に要する物品に関する事項を掌る

医官・主計官は軍医長・主計長の命を承け職務に服する

駆逐隊艇隊敷設隊に配置された場合、司令、駆逐艦長、艇長の命を承け職務に服する

 

以下は必要に応じ配置する

知港事  明治29〜41年まで常設 海軍少佐か大尉

所属諸船の統括 要港の警備 海運 海標

救難 防火に関する事項

工場主管 明治33〜35年まで常設

船體機関、兵器の小修理に関する事項

 

大湊要港部 本部定員

将校同相当官 15名 兵曹長同相当官 准士官 5名

下士 41名 卒 82名 計143名

(上記の定員には要港部附属の駆逐隊等の人員は含まれない)

 

各要港部には必要に応じて駆逐隊等が配置されていた。

明治38〜44年頃までの大湊要港部の配備状況は、以下であった。

 

第三駆逐隊 春雨(42年出) 皐月

山彦(39年出42年入) 文月(41年入)

第四駆逐隊 雷(いかづち大正2年除籍) 電(いなづま42年沈没)

曙(あけぼの) 朧(おぼろ)

漣(さざなみ44年入)

 

『海軍制度沿革 3巻』要港部条例

明治41年6月2日 軍令海1

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886719/695?tocOpened=1

『海軍制度沿革 10巻』 海軍定員令 要港部本部定員表

明治38年12月12日 内令755

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886717/246?tocOpened=1

『海軍制度沿革 4巻』 駆逐隊編制要表

明治38年12月12日 内令751

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886711/52?tocOpened=1

 

 

駆逐艦

 「海軍艦艇條例」(明治29年3月29日)において、『水雷艇とは魚形水雷使用の主旨に従い特殊の構造を有し戦闘の役務に堪へうる艇を謂う』と規定されている艦艇のことをいう。

  日本海軍は日清戦争にて水雷艇を駆使して清国に勝利することが出来た。その頃の水雷艇は150トン未満で、外洋航海能力は持ち合わせていなかったため回航できず、資材を海外で調達し国内で組み立てていた。

  駆逐艦の名称は明治29年に登場した。明治28年に英国で建造された艦艇の訳語として水雷艇破壊艦の名称が登場し、翌29年には駆逐艦と名称変更された。

  日本海軍は明治28年の海軍拡張計画修正案で、250トン水雷艇12隻を建艦する計画だったが、英国で300トンの駆逐艇が登場すると、300トンに変更し日露戦争に備えることとなった。

  明治30年に英国ヤーロー社に345トン雷型駆逐艇6隻、ソーニクロフト社に叢雲型6隻を注文し、33年に順次完成し就航した。

ヤーロー社の雷型は、雷、電、曙、漣、霓(にじ)の6隻で、命名時の明治31年は艦艇類別標準では水雷艇駆逐艇、明治33年6月22日の改正で駆逐艦と名称変更された。

  日露戦争ではこの体制で勝利することができたが、戦争が終結した頃には周辺国の艦艇は大型化が進み、日本の艦艇は時代遅れになってしまった。そのため戦後も装備入替に莫大な経費を費やす事となった。

 

『海軍制度沿革 8巻』水雷艇駆逐艇雷電東雲叢雲曙漣夕霧不知火命名ノ件

明治31年3月16日 達27

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/204?tocOpened=1

『海軍制度沿革 8巻』 軍艦及水雷艇類別等級

明治31年3月21日 達35

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/50?tocOpened=1

明治33年6月22日改正 達122

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/51?tocOpened=1

 

 

艦隊・戦隊の名称、定員について

 

聨合艦隊

戦艦が二隻以上で戦隊、戦隊が二隊以上で艦隊、艦隊が二艦隊以上で聨合艦隊呼ばれた。明治時代は戦時に臨時編制され、終戦時には解隊した。大正10年より常設となった。

水雷戦隊

駆逐隊二隊以上で編制された。戦隊旗艦(軽巡洋艦)+駆逐隊二隊以上で水雷戦隊が編制される様になったのは、大正3年から。

駆逐隊

駆逐艦二艦以上で編制され、艦隊の護衛や水雷による攻撃に従事した。

駆逐隊司令駆逐艦駆逐艦長水雷科士官でなければならない。

 

駆逐隊定員

司令   大中佐 一名(駆逐艦長一名は兼務可)

中佐の場合は昇進間近の最先任

軍医長  大軍医(大尉) 一名 中少軍医(中少尉) 一名

主計長  大主計(大尉) 一名 中少主計(中少尉) 一名

司令部附 下士卒 五名

計 10名

 

駆逐艦定員 雷 電 曙 朧 漣 春雨 皐月

駆逐艦長 少佐 大尉 一名

大尉の場合は昇進間近の最先任

尉官   二名

機関士    一名

曹長同相当官 准士官 三名

下士    十三名

卒    三十九名

計 59名

山彦 文月は55名

 

『海軍制度沿革 10巻』 海軍定員令 駆逐隊職員及司令部付定員表

明治38年12月12日 内令755

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886717/247?tocOpened=1

駆逐艦定員表

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886717/252?tocOpened=1

 

  艦艇は通常単独での航海はせず、必ず隊を編制して行動し、運用上同型の艦艇で構成された。

聨合艦隊、艦隊、戦隊、水雷戦隊、駆逐隊にはそれぞれ隊付職員が艦艇職員の他に乗り込み、司令長官、司令が座乗している艦艇は旗艦と呼ばれた。

  旗艦は司令部施設を備えた艦艇に通常設けられたが、慣例として、横須賀鎮守府に本籍を置く艦艇が選ばれることが多かった。

  艦艇の本籍は命名されると同時に(駆逐艦駆逐艇は就航後)決定され、特別な事がない限り変更されなかった。

  また、旗艦を選ぶ際には特に規定は無く、判断は司令官に任せられていた。

司令官は艦隊運用を行うが、艦艇の運用は艦長・駆逐艦長に一任され、司令官は口を出すことは出来ない(司令部は艦艇の居候)

 

 

『海軍制度沿革 3巻』  「第ニ篇 官制」 明治百年叢書 海軍省

『海軍制度沿革 8巻』  「第十五篇 艦艇」 明治百年叢書 海軍省

『海軍制度沿革 10巻』「第十九篇 定員」 明治百年叢書 海軍省

 

『海軍水雷史』  水交社 海軍水雷史刊行会  信行社

日本海軍編制事典』  坂本 正器  福川 秀樹  芙蓉書房

『日本陸海軍総合事典』  秦 郁彦  東京大学出版会

 

海軍要港部条例

海軍定員令

海軍艦船條例 明治29年3月20日 明治38年12月改正 大正5年5月廃止

参考書籍リスト

一覧の番号について

 

国立国会図書館デジタルコレクション

官報や戦前の書籍など活字化されている資料がメイン、他に論文も検索可能

http://dl.ndl.go.jp/

2 国立公文書館 アジア歴史資料センター

官報の原本など手書きの資料がメイン

https://www.jacar.go.jp/

3 北海道立図書館 北方資料デジタル•ライブラリー

https://www3.library.pref.hokkaido.jp/digitallibrary/

特に番号が無いのは私物です

 

第七師團

 

新旭川市史  第八巻  史料三  旭川市史編集会議 平成9年3月14日

旭川兵村中隊記録  師団歴史  満洲駐箚(ちゅうさつ)間留守師団歴史

樺太守備隊司令部歴史  北海道及樺太兵事沿革

旭川兵村中隊記録」  兵村記念館所蔵   「師団歴史」  北鎮記念館所蔵

北海道第七師團写真集  高橋憲一  大昭和興産株式会社

第七師團全圖  田中 八右衛門  表示無し

図は明治35年9月の全圖と同じもの  大迫師団長とアイヌの姿、恭賀新年の文字あり

第七師團全圖  田中 八右衛門  明治38年11月1日

札幌の25聯隊や第三軍の将軍達が載っている

第七師團各聨隊并ニ旭川名所の眞景  明治38年7月29日

第七師團各聨隊并ニ旭川名所の眞景  明治39年3月1日

同じ題名だが掲載されている写真が若干違う

第七師團各聨隊の眞景  明治39年12月10日

上記と同じデザインで師團各聨隊に特化したもの

旭川第七師団  示村 貞夫  総北海出版部  昭和47年4月20日 復刻改定 昭和59年8月15日

地域のなかの軍隊1  北海道東北  北の軍隊と軍都 山本 和重  吉川弘文館

軍隊を誘致せよ 陸海軍と都市形成  歴史文化ライブラリー 370  松下 孝昭  吉川弘文館

北の兵隊  示村 貞夫  総北海出版部

最強師団の宿命  示村 貞夫  毎日新聞社

旧陸軍第七師団の建築 各連隊施設の形態  川島 洋一  あいわプリント

歩兵第27連隊歴史  歩兵第27連隊

アジ歴  防衛省防衛研究所 陸軍一般史料→中央→部隊歴史→聯隊歩兵第27連隊歴史

明治32.11.25~昭和9.3.20  2

歩兵第二十七聯隊外史  オサラッペ会  興和印刷株式会社

 

日露戦争

 

明治卅七八年日露戦史 第5〜6巻旅順要塞ノ攻略 参謀本部  偕行社  1

明治卅七八年日露戦史 第8〜9巻 奉天附近ノ会戦  参謀本部  偕行社  1

自11月26日至同27日旅順方面に於ける軍特別予備隊戦闘詳報

特別支隊長 中村少將  第三軍司令官 乃木希典  2

自11月26日至12月6日旅順方面に於ける第3軍戦闘詳報  2

自11月30日至12月6日旅順方面に於ける第7師団戦闘詳報  第七師團長 男爵 大迫尚敏  2

203高地攻撃戦闘詳報  滿洲軍総司令官候爵大山巖  2

奉天附近之会戦に於ける  第7師団戦闘詳報  明治38年2月27日~3月1日  第七師團司令部  2

 

日露戦争の戦闘詳報はアジ歴の防衛省防衛研究所→陸軍一般史料→戦役→日露戦役内にある

 

極秘 明治37.8年海戦史 海軍2

アジ歴 防衛省防衛研究所→海軍→海軍一般史料⑨→文庫→千代田

 

写真でみる実録日露戦争  太平洋戦争研究会  新人物往来社

日露戦争Ⅰ 旅順攻略戦  平塚 柾緒  フットワーク出版社

日露戦争 バートン•ホームズ写真集 読売新聞社

日露戦争古写真帖  別冊歴史読本  新人物往来社

従軍画家が描いた日露戦争  平塚 柾緒  河出書房新社

写真 日露戦争  小沢 健志  筑摩書房

写真が記録した日露戦争 日本海海戦  平塚 柾緒  学研

日露戦争兵器•人物事典  歴史群像編集部  学研

日露戦争の兵器  佐山二郎  光人社

新史料による日露戦争陸戦史 覆される通説  長南 政義  並木書房

情報戦争と参謀本部  日露戦争辛亥革命  佐藤守男  芙蓉書房出版

動乱はわが掌中にあり 情報将校 明石元二郎日露戦争  水木 楊  新潮社

兵士たちがみた日露戦争 従軍日記の新資料が語る坂の上の雲  横山 篤夫  西川 寿勝  雄山閣

ある歩兵の日露戦争従軍日記  茂沢祐作  草思社

兵士たちの日露戦争 五00通の軍事郵便から  大江 志乃夫  朝日新聞社

悲痛ナル日露戦争ノ經驗  偕行社  明治40年10月5日

 

軍隊全般

日本陸海軍総合事典  秦 郁彦  東京大学出版会

詳説 統帥綱領  柘植 久慶  PHP研究所

日本史世界史 同時代比較年表  楠木 誠一郎  朝日新聞社

官職要解  和田 英松  講談社

華族総覧  千田 稔  講談社

皇族と帝国陸海軍  浅見 雅夫  文藝春秋

戦争における人殺しの心理学  デーヴ•グロスマン  安原 和見 訳  筑摩書房

 

日本陸軍

陸軍成規類聚 明治42年5月  陸軍省  2  他に明治33年もあり

法令集  随時差替えしていく資料のため、明治42年のものは大正5〜6年頃も使用した形跡ある

差替えされた内容が不明の場合は、元の法令から順に官報を確認する必要有り

デジタルコレクションにも市販された書籍が多数収録されているが、編集されているケースが多い

陸軍現役将校同相当官実役停年名簿  明治36年7月1日調  1

次の名簿は明治45年となり、残念ながら戦時中の分は無い

歴代陸軍大将全覧 明治 大正 昭和 満州事変 太平洋戦争期

半藤 一利 横山 恵一 秦 郁彦 戸高 一成 中央公論新社

日本陸軍兵営の生活  藤田 昌雄  光人社

日本陸軍の基礎知識 昭和の生活編  藤田 昌雄  潮書房光人社

日本陸軍がよくわかる事典  太平洋戦争研究会  PHP研究所

地域のなかの軍隊 8  基礎知識編  日本の軍隊を知る  荒川 章二 他  吉川弘文館

陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治36年7月1日調  1

軍隊内務書  陸軍省  川流堂小林又七  明治38年12月3日

陸海軍隊須知  尚武社  又間精華堂 明治37年9月10日

大正の内務班長  小林編輯部  川流堂小林又七  大正3年8月15日  1

歩兵操典改正草案  陸軍省  川流堂小林又七  明治39年11月24日

陸軍軍隊符號  偕行社  大正6年11月5日

陸軍軍隊符號  陸軍省  明治37年8月1日  厚生堂 

アジ歴•デジタルコレクション内にも多数あり

軍隊料理法  陸軍省  明治43年7月31日 小林又七

軍隊調理法  陸軍省  糧友会  昭和12年8月4日  1、2

写真で見る 日本陸軍兵営の食事  藤田 昌雄  光人社

帝国陸軍 戦場の衣食住  歴史群像太平洋戦史シリーズ39 学研

写真で見る 明治の軍装  藤田 昌雄  潮書房光人社

写真で見る 大正の軍装  藤田 昌雄  潮書房光人社

陸海軍服装総集図典  北村 恒信  国書刊行会

大日本帝国陸海軍 軍装と装備  田中 忠夫  サンケイ新聞

軍装•服飾史カラー図鑑  辻元 よしふみ 辻元 玲子  イカロス出版

軍服の歴史 5000年  辻元 よしふみ 辻元 玲  彩流社

陸軍と性病  藤田 昌雄  えにし書房

陸軍と厠 知られざる軍隊の衛生史 藤田 昌雄  潮書房光人社

陸士第十五期生 任官六十周年記念誌  第十五期生会  三木印刷株式会社

桜と剣 わが三代のグルメット  村上 兵衛  光人社

帝国軍人カクアリキ  岩本高周  光人社

陸軍用語よもやま物語  比留間 弘  光人社

寄生木  徳富健次郎  警醒社書店  明治43年  1

自叙伝  大杉 栄  大正12年11月24日  1

日本の参謀本部  大江志乃夫  吉川弘文館

陸軍将校の教育社会史 立身出世と天皇制  広田 輝幸  世織書房

明治35年雪中行軍遭難事件の資料はアジ歴の以下の階層にある

防衛省防衛研究所陸軍省大日記→陸軍省雑文書→雪中行軍

 

幼年学校  陸軍士官学校 陸軍大学校

陸軍士官学校  山崎 正男 偕行社  秋元書房

別冊一億人の昭和史  陸士★陸幼  毎日新聞社

振武台の教育 復刻版 陸軍予科士官学校高等官集会所 鵬和出版

陸軍士官學校一覧  陸軍士官學校  明治37年5月8日  兵事雑誌社 1

陸士よもやま物語  村上 兵衛  光人社

陸軍士官学校よもやま物語  比留間 弘  光人社

陸軍幼年学校体制の研究  野邑 理栄子  吉川弘文館

東京陸軍幼年学校史  わが武寮  東幼会

大いなる熊本陸軍幼年学校  熊幼会  啓文堂

陸軍幼年学校の青少年教育  本田尚士  展転社

熊本陸軍地方幼年学校一覧  熊本陸軍地方幼年学校  汲古堂  明治35年11月8日 1

名古屋陸軍地方幼年学校一覧  名古屋陸軍地方幼年学校  扶桑新聞社  明治35年11月15日 1

陸軍中央幼年学校一覧  陸軍中央幼年学校  明治45年2月28日  都築 吉五郎 1

陸軍幼年学校よもやま物語  村上 兵衛  光人社

陸軍大学校  稲葉 正夫  上法 快男  芙蓉書房

 

兵器

教育総監部 26年式拳銃使用法

防衛省防衛研究所陸軍省大日記→陸軍省達書→陸軍省達書→陸軍省達書→明治32年 陸達日記

砲兵課 26年式拳銃保存法制定の件

防衛省防衛研究所陸軍省大日記→陸軍省達書→陸軍省達書→陸軍省達書→明治36年 陸達日記

教育総監部 30年式歩兵銃使用法草案

防衛省防衛研究所陸軍省大日記→陸軍省達書→陸軍省達書→陸軍省達書→明治32年 陸達日記

教育総監部 30年式歩兵銃及騎銃保存法

防衛省防衛研究所陸軍省大日記→陸軍省達書→陸軍省達書→陸軍省達書→明治32年 陸達日記

三八式歩兵銃及騎銃取扱法  明治41年3月12日

防衛省防衛研究所陸軍省大日記→大日記乙輯永存書類→乙集付属書類 第1冊 昭和11年

日本の小火器徹底研究 小銃•拳銃機関銃入門  佐山二郎  光人社

三八式歩兵銃と日本陸軍 終戦70周年特別企画  ホビージャパン

有坂銃  兵頭 二十八  光人社

日本軍の拳銃  ホビージャパン

図説 世界の銃 パーフェクトバイブル 1•2•3  歴史群像シリーズ  学研

重機及附属品正價表  十文字商會猟具部  明治35年9月

銃の基礎知識 GUN FACT BOOK  全米ライフル協会 小林 宏明 訳  学研

図説 銃器用語事典  小林 宏明  早川書房

 小林宏明のGUN講座 1•2  小林 宏明  エクスナレッジ

 

屯田兵(旭川)

屯田兵村の百年  上中下巻  伊藤 広  : 北海道新聞

北海道屯田兵絵物語  金巻 鎮雄  総北海出版部

第七師團屯田歩兵第三大隊第四中隊履歴  旭川北斗ライオンズクラブ結成十周年記念

 

海軍

海軍制度沿革  明治百年叢書  海軍省  原書房 1に原書あり

法令を時系列に纏めたもので、昭和15年頃まで収録されている

以降については海軍諸例則を参照するが、デジタルコレクションには1935年までしか無いため、アジ歴の公文備考で個々に調べることになる

市販では防衛研究所所蔵分(昭和16〜20年)が明治百年叢書で発行されている

日本海軍士官総覧  海軍義済会員名簿 昭和17年7月1日調  柏書房 1に原書あり

日本海軍史 第9巻 第10巻  将官履歴  海軍歴史保存会  第一法規出版株式会社

日本海将官辞典 服皮秀樹  芙蓉書房出版

歴代海軍大将全覧  半藤 一利 横山 恵一 秦 郁彦 戸高 一成 中央公論新社

現役海軍士官名簿. 大正15年2月1日調    大正15年以降 1

海軍高等武官名簿 (明治26年以降)は国会図書館にはあるがデジタルコレクションには無い

日本海軍編制事典  坂本 正器  福川 秀樹  芙蓉書房

地域のなかの軍隊 5  中国四国  西の軍隊と軍港都市 坂根 喜弘  吉川弘文館

海軍圖説  海軍中佐 木村 浩吉  大日本圖書株式会社  明治36年6月13日(明治29年初版増訂七版) 1

日本海軍須知  大日本海事調査会  自省堂本店  明治38年3月24日  1

海軍辞典  海軍大佐 山内 大藏 内田 丈一郎  弘道館  昭和17年11月30日

秋山真之 戦術論集 戸高一成 中央公論新社

海軍水雷史  水交社 海軍水雷史刊行会  信行社

海軍砲戦史談  黛 治夫  原書房

海軍兵学校沿革 正続 明治百年叢書 有終会  原書房 1に正のみあり

海軍兵学校の教育課程の研究  品田 毅  学事出版

海軍兵学校生活  杉本 巴水  光村合資會出版部  1

用字必携  海軍兵学校  昭和11年12月

兵科次室士官心得  海軍兵学校  昭和17年

聯合艦隊軍艦銘銘伝  片桐 大自  光人社

海軍用語おもしろ辞典  瀬間  喬  光人社

一海軍士官の半生記  草鹿 龍之介  光和堂

駆逐艦勤務 旧海軍の海上勤務と航海実務  矢花 冨佐勝  文芸社

海軍艦隊勤務  近現代史編纂会  新人物往来社

日本海軍軍装図鑑  柳生 悦子  並木書房

日本海軍食生活史談  瀬間 喬  海援舎

復刻 海軍割烹術参考書  舞鶴海兵団  明治41年9月1日  猪本 典子  前田雅之  イプシロン出版企画

写真で見る 海軍糧食史  藤田 昌雄  光人社

海の男の艦隊料理 海軍主計兵調理術教科書復刻  高橋 孟  ノーベル書房

海軍めいたき物語  高橋 孟  新潮社

海軍料理おもしろ事典  高森 直史  光人社

帝国海軍料理物語  高森 直史  光人社

海軍グルメ物語  平間 洋一  高森 直史  斎藤 義明  新人物往来社

海軍カレー伝説  高森 直史  潮書房光人社

海軍さんの料理帖  有馬 恒次郎  ホビージャパン

うまい海軍飯  青山 智樹  経済界

 

 

風俗

アイヌの昔話  萱野 茂  平凡社

旧制高校物語  秦 郁彦  文藝春秋

明治/大正/昭和 物価の文化史事典  森永卓郎  展望社

時刻表タイムトラベル  所澤 秀樹  筑摩書房

食堂車の明治大正昭和  かわぐち つとむ  グランプリ出版

英国人写真家の見た明治日本  バーバード•G•ポンティング  長岡 祥三 訳  講談社

考現学入門  今 和次郎  筑摩書房

日本の民家  今 和次郎  筑摩書房

明治奇聞  宮武 外骨  河出書房人社

猥褻風俗辞典  宮武 外骨  河出書房人社

 

保存食品開発物語  スー•シェパード  赤根 洋子 訳  文藝春秋

冷たいおいしさの誕生 にほん冷蔵庫100年  村瀬 敬子  論創社

ビジネスの生成 清涼飲料のにほん化  河野 昭三  文眞社

なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか  立石 勝規  講談社

明治•大正を食べ歩く  森 まゆみ  PHP研究所

懐かしの昭和を食べ歩く  森 まゆみ  PHP研究所

戦前学生の食生活事情  上村 行世  三省堂

ハプスブルク家の食卓  関田 淳子  新人物往来社

ハプスブルク家のお菓子  関田 淳子  新人物往来社

大草原の小さな家の料理の本  バーバラ•M•ウォーカー  本間 千枝子 こだま ともこ 訳  文化出版局

食道楽の献立  村井 弦斎  角川春樹事務所

実験和洋菓子製造法  梅田 竹次郎  大倉書店  明治38年6月10日

和洋菓子製造法  亀井 まき子  博文堂  明治40年2月12日

 

勲章と褒章  内閣府褒章局  時事画報社

図解服飾用語事典  杉野 芳子 ドレスメーカー学院  ブティック社

東京紳士服の歩み  小田 喜代治  東京紳士服工業組合

洋品百年の歩み  東京洋品卸商連合会  洋品界編集部

ハーディ•エイミスのイギリスの紳士服  ハーディ•エイミス 森 秀樹 訳  大修館書店

The indispensable guide to classic men’s clothing  Josh Karen  Christopher Sulavik

ベル•エポックの百貨店カタログ パリ1900年の身装文化  宮後 年男  アートダイジェスト

おっ、ふんどし!?  新•ふんどし物語  越中 文俊  心交社

性風俗年表 明治 大正昭和戦前  下川 耿史  河出書房新社

遊郭をみる  下川 耿史  林 宏樹  筑摩書房

 

ヴィクトリア朝英国人の日常J生活  上下  ルース•グッドマン  小林 由果 訳  原書房

女王陛下のブルーリボン ガーター勲章とイギリス外交  君塚 直隆  N T T出版

英国レディになる方法  岩田 託子  川端 有子  河出書房新社