第七師團に大湊要港部司令が来た話

第七師團に大湊要港部司令が来た話

 

    「師團歴史」をつらつらと読んでみると結構要人が来團しています。大抵は検閲で将官クラス(秋山好古とかは何回も)ですが、鉄道網が発達してきた明治末以降は、海軍軍人が来旭しているケースもあります。

    上原師團長時代の明治42年5月31日に、大湊要港部司令官!が第七師團司令部に来ていた話が載っていたので調べてみました。

 

師團歴史

 

 

 「師團歴史」  明治42年5月31日の記事

『大港(大湊)要港部司令官海軍少将玉利親賢(たまり ちかたか)来団』といういきなり誤字っている記録がありました。上原師團長は25日から余市•岩内•室蘭方面に出張していましたが、30日には帰團していますので要港部司令官と会ったのは間違いないかと思います。そこで何か記録が残っていないか調べてみる事にしました。

 

大湊要港部司令官

少将  餅原  平二    明治38年12月12日〜 明治40年3月12日鹿児島男爵

少将  大久保 保喜造 明治40年3月12日 〜 明治41年5月15日 佐賀

少将  武富  邦鼎    明治41年5月15日   〜 明治41年8月28日 佐賀

少将  玉利  親賢    明治41年8月28日   〜  明治42年12月1日 鹿児島

 

   ここで登場する玉利少将は、ロンドン駐在時に軍艦春日、日進の購入契約をした人物です。イタリアで建造されていた軍艦をロシアが狙っているという情報があったため、英国と共謀して日本が先に購入し、ロシアの計画を阻止しました。回航委員は当時中佐の鈴木貫太郎で、彼の日誌が残っています(鈴木は終戦時の内閣総理大臣

 

戦時日誌 軍艦春日 C09050376100

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C09/C09050376100.c0754804011.11nitiro_037.0004_01.pdf

 

第七師團師團長

少将  永山  武四郎 明治29年5月12日  〜  明治33年4月25日 鹿児島男爵

中将  大迫  尚敏    明治33年4月25日  〜  明治39年7月6日     鹿児島子爵

中将  上田  有沢    明治39年7月6日     〜  明治41年12月21日徳島 男爵

中将  上原  勇作    明治41年12月21日〜 明治44年9月6日     宮崎 子爵

 

   当時の師團長は上原中将。工兵出身で師團長を務め、その後は陸軍大臣教育総監参謀総長を経て元帥まで到達し、長閥衰退後は絶大な権力を有しました。

平二と勇作は金カムの名前の元ネタですよね。

 

   とりあえず人名で検索してみましたが、案の定出てこない…

次は出張願いとかありそうなので探してみたら束の中から出てきました。

 

出張2

 

出張及視察(4) C06092213100 40ページ目

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C06/C06092152800.c0450309110.koubun_1429.1264_01.pdf

 

大要第240號  明治42年5月8日

大湊要港部司令官 玉利親賢 たまり ちかたか

海軍大臣男爵斎藤實殿

 

北海道及び樺太へ出張致したくの件

 

本月下旬頃より約三週間の予定を以って室蘭、根室、小樽、九春古丹(大泊)及び所属各望楼など警備区域内巡視のため出張致したく候條御認許相成りたし

右上申す

追って旅費は配付予算内にて支払い可致候に付き此の段副申候なり

(終)

 

*さいとうまこと 明治39年 海軍大臣 大正3年シーメンス事件で大臣辞任 予備役編入

   昭和11年2月26日 二•二六事件で襲撃され逝去 従一位

*久春(九春)古丹  クシュンコタン  樺太大泊町の古名

*そうろうじょうご(おん)にんきょあいなりたし

   〜したいので、御認許をお願いします  候の略字か異字ならば意味が通る

*可致候ニ付  いたすべくそろにつき

   支払う様に致しますので、この件について副申致します

 

海軍要港部と駆逐隊  要港部と駆逐艦についてのちょっとした説明

https://storage2018.hateblo.jp/entry/2019/01/03/024531

 

戦後大湊には第三、第四駆逐隊が配備されていましたので、出張にはどちらかの駆逐隊を同行させたに違いありません。

 

第三駆逐隊

春雨(42年出) 皐月  山彦(39年出42年入) 文月(41年入)

第四駆逐隊

雷(いかづち大正2年除籍) 電(いなづま42年沈没)  曙(あけぼの) 朧(おぼろ)

漣(さざなみ44年入)  戦時中は第二駆逐隊

因みに戦時中の第四駆逐隊は、朝霧 村雨 朝潮 白雲で、司令は回航から帰ってきた鈴木貫太郎中佐。(戦後第十三駆逐隊)

 

   第三駆逐隊が三隻でしかも面子が変更になっているので、戦時中も同じメンバーだった第四駆逐隊が練度が高そうです(でもすぐ電は沈没しちゃうんですけどね)

   後は駆逐隊のスケジュールですが、通常日誌は定期的(保管期間は艦艇種別による)に鎮守府なり要港部に提出して保管してあったものなので、特に破棄していなければ何かの形で残っているはずです。

   更に調べると駆逐隊の予定表と全艦艇の艦船行動簿という資料がありました。

 

発着2

予定2

 

諸艦船行動回航等に関し届書類(3) C06092180300 42ページより

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C06/C06092180300.c0450309112.koubun_1438.0834_01.pdf

 

第四駆逐隊司令 松岡修藏

發着報告の件

本隊来たる28日より別紙予定日割を以って北州及び樺太沿岸巡航致すべく候に付

右報告す

 

   名前の最後の字は違うけど読みは同じです(笑)

松岡司令は当時昇進間近の中佐で、この年の10月に大佐に昇進して転出しています。

この二通の書類は両方とも海軍大臣あてですが、印を見ると処理をしたセクションが違うようですね。

   出張願いは海軍省人事局、発着報告については海軍省軍務局と軍令部にも回覧されていて、個人の印鑑の数も多いです。

   各省の役割は大雑把にいうと、陸軍省海軍省は軍政、参謀本部•軍令部は作戦、軍の編制、諜報となっています(人事については、参謀本部付将校のみ参謀本部が行い他は陸軍省の管轄、海軍は全て海軍省の管轄)

   このケースの場合は、実際に艦艇を運用して樺太沿岸の諜報を行なっているので、海軍省から軍令部に書類が回ったのでしょうね。

 

 

艦船行動簿明治42年5月分(2) C10100058100  2ページ目より

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C10/C10100058100.c0855599001.11kansen_005.0791_01.pdf

 

艦船行動簿明治42年6月分(1) C10100058200

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/contents/pdf/C10/C10100058200.c0855599001.11kansen_005.0801_01.pdf

 

*大湊  むつの隣

上ノ国  北海道江差の近く

寿都  岩内と島牧村の間

*鷲泊  利尻島

*大泊  樺太コルサコフ

 

   31日に司令官が来団との事でから、30から1日まで小樽で碇泊していたので間違いないですね。

当時の鉄道は函館から小樽を経由して札幌•旭川に向かっていて、函館から旭川まで既に直通列車があったらしいので、札幌乗り換えは特に必要なかったかと思われます。ちなみに室蘭方面行き乗り換えは岩見沢でした。

   そして当時の小樽•旭川間の乗車時間は約6時間30分…おぉぅ腰が…

 

中央小樽 午前4時18分発   旭川       午前10時47分着

旭川       午後5時25分発   小樽中央 午後11時11分着

 

   これならば現地で一泊しなくても、何とか艦艇に帰ることができますね。

よかったけどハードスケジュールだな。 

 

北海道旅行案内 明治43年

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763156/12

 

   大泊で二泊している間に諜報活動をしていたかと思うのですが、残念ながら海軍の報告書等の資料がありませんでした。

 「師團歴史」では直後の9日に内務事務次官樺太に来着、その際に付近住民が漁業問題について陳情、更に暴動になったため、樺太庁長官より大泊分遣隊に出兵請求があったとの記録がありました(同日正午鎮圧)

   関連については不明ですが、海軍がわざわざ師團司令部に来たのは、内務事務次官樺太訪問について連絡を取り合った可能性もあるのではと思いました。

 

 

国立国会図書館デジタルコレクション

http://dl.ndl.go.jp/

国立公文書館 アジア歴史資料センター

https://www.jacar.go.jp/

新旭川市史  第八巻  史料三 』「師團歴史」 旭川市史編集会議 北鎮記念館蔵

『日本陸海軍総合事典』  秦 郁彦  東京大学出版会

日本海軍編制事典』  坂本 正器  福川 秀樹  芙蓉書房

日本海軍士官総覧  海軍義済会員名簿』 昭和17年7月1日調  柏書房 1に原書あり

日本海軍史 第9巻』「将官履歴 兵科大将〜少将」  海軍歴史保存会  第一法規版株式会社

『歴代海軍大将全覧』  半藤 一利 横山 恵一 秦 郁彦 戸高 一成  中央公論新社

『歴代陸軍大将全覧  大正篇』  半藤 一利 横山 恵一 秦 郁彦 戸高 一成  中央公論新社