海軍要港部と駆逐隊

海軍要港部

明治22年の鎮守府條例にて「海軍に於いて守備する地」を要港と定め、明治29年の海軍要港部條例で各要港に海軍要港部を設置した。大湊要港部は、明治38年12月12日に設置された。

 

明治41年6月2日施行の要港部條例では、

 

第1條 各要港に要港部を置き、所在の地名を冠称する

第2條 要港部の防御及び其の付近の海岸海面の警備を掌り

兼て軍需品の配給を為す所とする

第3條 必要に應じ駆逐隊艇隊敷設隊を置き、

潜水艇隊を附属する

等の他に、司令官及び幕僚を置く事が定められていた。

 

要港部本部幕僚

 

司令官  海軍中将か少将(大湊) 一名

天皇に直隷し海軍大臣の命を承け軍政を掌る

軍紀風紀、教育訓練の統監

艦政、兵事は所在海軍区を管する鎮守府司令長官の管轄

要港部の兵員の配置、物品の供給は所在海軍区の鎮守府の所轄(大湊は横須賀鎮守府)

司令官は要港内に在る他管の艦船を指揮することが可能

但し、司令長官、司令官がいる艦船はその限りでは無い

地方の安寧を維持するため兵力を使用することが可能

地方長官の要請無く兵力を行使した場合、処分後海軍大臣に報告する

司令官の欠員事故の場合、次席将校が業務を代行する

 

参謀長  明治33年より 大佐か中佐 一名

司令官の補佐 幕僚事務の掌握

参謀   明治33年より 少佐(兼務可) 一名

参謀長の指示を受け事務に服する

副官   少佐 一名 大尉 一名

参謀長の命を承け、人事、庶務を掌る

機関長  機関中少監(中佐・少佐) 一名

司令官の命を承け、機関船体、兵器に関する事項

機関官の勤務に関する事項を掌る

軍医長  軍医中少監(中佐・少佐) 一名

司令官の命を承け、軍務衛生に関する事項の掌握

主計長  主計中少監(中佐・少佐) 一名

司令官の命を承け、会計給与、軍需品の配給、工業に要する物品に関する事項を掌る

医官・主計官は軍医長・主計長の命を承け職務に服する

駆逐隊艇隊敷設隊に配置された場合、司令、駆逐艦長、艇長の命を承け職務に服する

 

以下は必要に応じ配置する

知港事  明治29〜41年まで常設 海軍少佐か大尉

所属諸船の統括 要港の警備 海運 海標

救難 防火に関する事項

工場主管 明治33〜35年まで常設

船體機関、兵器の小修理に関する事項

 

大湊要港部 本部定員

将校同相当官 15名 兵曹長同相当官 准士官 5名

下士 41名 卒 82名 計143名

(上記の定員には要港部附属の駆逐隊等の人員は含まれない)

 

各要港部には必要に応じて駆逐隊等が配置されていた。

明治38〜44年頃までの大湊要港部の配備状況は、以下であった。

 

第三駆逐隊 春雨(42年出) 皐月

山彦(39年出42年入) 文月(41年入)

第四駆逐隊 雷(いかづち大正2年除籍) 電(いなづま42年沈没)

曙(あけぼの) 朧(おぼろ)

漣(さざなみ44年入)

 

『海軍制度沿革 3巻』要港部条例

明治41年6月2日 軍令海1

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886719/695?tocOpened=1

『海軍制度沿革 10巻』 海軍定員令 要港部本部定員表

明治38年12月12日 内令755

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886717/246?tocOpened=1

『海軍制度沿革 4巻』 駆逐隊編制要表

明治38年12月12日 内令751

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886711/52?tocOpened=1

 

 

駆逐艦

 「海軍艦艇條例」(明治29年3月29日)において、『水雷艇とは魚形水雷使用の主旨に従い特殊の構造を有し戦闘の役務に堪へうる艇を謂う』と規定されている艦艇のことをいう。

  日本海軍は日清戦争にて水雷艇を駆使して清国に勝利することが出来た。その頃の水雷艇は150トン未満で、外洋航海能力は持ち合わせていなかったため回航できず、資材を海外で調達し国内で組み立てていた。

  駆逐艦の名称は明治29年に登場した。明治28年に英国で建造された艦艇の訳語として水雷艇破壊艦の名称が登場し、翌29年には駆逐艦と名称変更された。

  日本海軍は明治28年の海軍拡張計画修正案で、250トン水雷艇12隻を建艦する計画だったが、英国で300トンの駆逐艇が登場すると、300トンに変更し日露戦争に備えることとなった。

  明治30年に英国ヤーロー社に345トン雷型駆逐艇6隻、ソーニクロフト社に叢雲型6隻を注文し、33年に順次完成し就航した。

ヤーロー社の雷型は、雷、電、曙、漣、霓(にじ)の6隻で、命名時の明治31年は艦艇類別標準では水雷艇駆逐艇、明治33年6月22日の改正で駆逐艦と名称変更された。

  日露戦争ではこの体制で勝利することができたが、戦争が終結した頃には周辺国の艦艇は大型化が進み、日本の艦艇は時代遅れになってしまった。そのため戦後も装備入替に莫大な経費を費やす事となった。

 

『海軍制度沿革 8巻』水雷艇駆逐艇雷電東雲叢雲曙漣夕霧不知火命名ノ件

明治31年3月16日 達27

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/204?tocOpened=1

『海軍制度沿革 8巻』 軍艦及水雷艇類別等級

明治31年3月21日 達35

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/50?tocOpened=1

明治33年6月22日改正 達122

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/51?tocOpened=1

 

 

艦隊・戦隊の名称、定員について

 

聨合艦隊

戦艦が二隻以上で戦隊、戦隊が二隊以上で艦隊、艦隊が二艦隊以上で聨合艦隊呼ばれた。明治時代は戦時に臨時編制され、終戦時には解隊した。大正10年より常設となった。

水雷戦隊

駆逐隊二隊以上で編制された。戦隊旗艦(軽巡洋艦)+駆逐隊二隊以上で水雷戦隊が編制される様になったのは、大正3年から。

駆逐隊

駆逐艦二艦以上で編制され、艦隊の護衛や水雷による攻撃に従事した。

駆逐隊司令駆逐艦駆逐艦長水雷科士官でなければならない。

 

駆逐隊定員

司令   大中佐 一名(駆逐艦長一名は兼務可)

中佐の場合は昇進間近の最先任

軍医長  大軍医(大尉) 一名 中少軍医(中少尉) 一名

主計長  大主計(大尉) 一名 中少主計(中少尉) 一名

司令部附 下士卒 五名

計 10名

 

駆逐艦定員 雷 電 曙 朧 漣 春雨 皐月

駆逐艦長 少佐 大尉 一名

大尉の場合は昇進間近の最先任

尉官   二名

機関士    一名

曹長同相当官 准士官 三名

下士    十三名

卒    三十九名

計 59名

山彦 文月は55名

 

『海軍制度沿革 10巻』 海軍定員令 駆逐隊職員及司令部付定員表

明治38年12月12日 内令755

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886717/247?tocOpened=1

駆逐艦定員表

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886717/252?tocOpened=1

 

  艦艇は通常単独での航海はせず、必ず隊を編制して行動し、運用上同型の艦艇で構成された。

聨合艦隊、艦隊、戦隊、水雷戦隊、駆逐隊にはそれぞれ隊付職員が艦艇職員の他に乗り込み、司令長官、司令が座乗している艦艇は旗艦と呼ばれた。

  旗艦は司令部施設を備えた艦艇に通常設けられたが、慣例として、横須賀鎮守府に本籍を置く艦艇が選ばれることが多かった。

  艦艇の本籍は命名されると同時に(駆逐艦駆逐艇は就航後)決定され、特別な事がない限り変更されなかった。

  また、旗艦を選ぶ際には特に規定は無く、判断は司令官に任せられていた。

司令官は艦隊運用を行うが、艦艇の運用は艦長・駆逐艦長に一任され、司令官は口を出すことは出来ない(司令部は艦艇の居候)

 

 

『海軍制度沿革 3巻』  「第ニ篇 官制」 明治百年叢書 海軍省

『海軍制度沿革 8巻』  「第十五篇 艦艇」 明治百年叢書 海軍省

『海軍制度沿革 10巻』「第十九篇 定員」 明治百年叢書 海軍省

 

『海軍水雷史』  水交社 海軍水雷史刊行会  信行社

日本海軍編制事典』  坂本 正器  福川 秀樹  芙蓉書房

『日本陸海軍総合事典』  秦 郁彦  東京大学出版会

 

海軍要港部条例

海軍定員令

海軍艦船條例 明治29年3月20日 明治38年12月改正 大正5年5月廃止